文字を通じて社会に貢献する
獨協人登場2024.07.21
株式会社モリサワ代表取締役社長
森澤 彰彦さん(1986年法律卒)
「自分達がマーケットを開拓してきたという意識が強くあります。世の中に存在しないものを創造することは当時の印刷業界の夢でもありました。」
スマートフォン・タブレット端末、テレビCM・テロップ、サイン、雑誌・書籍・ポスターなど・・・
私達の日常生活のあらゆるところで目にしているモリサワの文字。代表取締役をつとめる森澤彰彦さんに大学時代の想い出、現在のお仕事についてお話を伺いました。
大学受験の想い出
獨協大学を志望校として選んだのは、語学、特に英語が好きだったというのが大きな理由です。当時の試験科目は英語・小論文・面接のみ。試験科目が少ない分、試験の対策をたてやすかったのですが、英語の長文読解に苦労した記憶があります。過去の英語の試験問題を見てみると60分の長文読解に30分の短問。長文読解はA3の用紙に7、8枚ぐらいのボリュームがあって、それを60分間で読んで解いていくので、大変でした。大学時代の想い出:サークルとゼミ
サークルはシンプルスポーツソサイエティというテニスが基本、冬はスキー、ゴルフも行うオールラウンドサークルに入っていました。ゼミは高島先生の労働法のゼミに所属していました。企業を経営するうえで、労働に関わる様々な法律の理解は欠かせませんので、現在の自分にも役立っていることが多くあります。先生は弁護士としても活躍されていましたので、隼町(平河町の近く)に弁護士事務所を構えておられました。毎週火曜日にゼミが終わると先生の弁護士事務所に行き、先生の仕事が終わるのを待って、夜まで麻雀を打つ、という勉強以外の学びもありました。そこには、時々ゼミのOBの方も先生を慕って遊びに来られていて、一緒に麻雀を楽しむこともありました。社会人として活躍されている先輩方と交流することで、たくさんの刺激を受けました。獨協大学の魅力は、自由な風土です。そこで培われた人柄の良さが同窓生に共通して存在し、優しい人が多く、友達から友達へと続々と繋がっていく雰囲気があります。
昨年10月で60歳になりましたが、定年を迎える年になってゼミやサークルの仲間との交流が活発になってきています。
株式会社モリサワとは?
モリサワは、今はフォントという、パソコンなどのデバイスで使われる文字を作っている会社です。もともとは機械メーカーとして私の祖父、モリサワの創業者・森澤信夫が活字に代わる新しい印刷技術として開発した「写真植字機」を発明したことに端を発しています。祖父は製薬会社の印刷部在籍時に「海外では活字を使わずに写真の技術を使って文字を印字する方法が研究されている」という話をきき、自らもその研究に取り憑かれていきました。そして1924年7月、写真の原理で文字を現して組む方法を世界に先駆けて考案し、その発明模型を「邦文写真植字機」と名付けて石井茂吉氏と共に実用化に着手しました。活字を使う活版印刷では、印刷する文字の数だけ活字が必要となり、書体ごと、サイズごとに活字を用意する必要がありますが、この写真植字はレンズによって文字の大きさを変更することができるため、サイズ別の文字を作る必要がありません。文字のネガに光を当て、印画紙に文字を焼きつけることで、文字の複製、拡大・縮小を可能にする画期的な技術でした。今年はその発明からちょうど100周年になります。写真植字機は、1960年代から90年代にかけて文字印刷技術のスタンダードとして活躍し、日本の出版・広告・デザインの発展に大きく貢献しました。
デジタル時代の黎明期とともに歩んだ社会人生活
私が入社した当時のモリサワは、パソコンで使えるデジタルフォントがまだありませんでしたので、写植機の製造・販売を行っていました。工場では手動写植機の生産が行われ、開発部門ではコンピューターで自動化した「電算写植機」のプログラム開発などが行われていました。大阪の本社に入社後は、開発や手動写植機の組み立て、電算写植機の修理など、1年間かけてさまざまな部署を経験しました。1年経った頃、「今アメリカではパソコン上で印刷物のデータを制作するDesktop Publishing(デスクトップ パブリッシング、以下DTP)という産業が急激に伸びている、その技術を開発しているのがアドビというベンチャー企業で、今度この会社と一緒に仕事をすることになったから勉強に行ってこい!」と言われて、入社2年目に4ヶ月間アメリカのアドビでDTPの研修を受けてきました。機械メーカーのモリサワとソフトウェア開発のアドビでは、社員の持っているスキルやノウハウがまったく違い、海外最先端の情報に触れることができた貴重な経験でした。1988年、まだベンチャー企業だったアドビにて、当時の森澤嘉昭社長(左から2番目)と。4ヶ月の滞在中にもアドビは社員数が増え続けて急拡大しており、成長企業の勢いを肌で感じました。
帰国後は、すぐに印刷市場の大きい東京への転勤が決まり、それから2年間DTPシステムをどのように日本で活用するか、販売するかなどについて一任され、試行錯誤で考えていました。当時の印刷業界は、数千万円するスキャナーや、電算写植機は一式4000万円から5000万円するシステムが一般的で、大手企業も中小企業もこれらの高額な専用システムを導入していました。ところが、DTPの登場により、比較的安価な簡易型の印刷システムが利用可能になりました。1989年にLaser-Writer II NTX-(J レーザーライター・エヌティーエックス・ジェイ)というモノクロレーザープリンターが販売されました。これが起爆剤となり、印刷業界でDTPを模索する雰囲気が一気に高まっていたこと
も追い風になり、全国の企業がDTPの導入に向けて動き始めました。
そのような時代背景の中で20代は全国各地の企業にDTPの普及を推進するエバンジェリストとして活動。その後、DTP専門の部署を立ち上げて課長になり、1999年に取締役営業本部長、2006年に常務取締役執行役員営業本部長、2007年に専務取締役執行役員営業本部長を経て、2009年5月に代表取締役に就任しました。
この間、時代とともにDTPはますます定着して、デジタルフォントは皆さんの生活にとっても身近なものになりました。フォントに求められる役割も大きく広がり、それに応えるべく、「より多くの人が読みやすい」ユニバーサルデザイン(UD)フォントの開発や、Webで使用するフォントサービス、2000書体以上が使い放題のサブスクリプションサービスなど、多彩な文字が便利に使える新しい技術・製品を生み出しています。
「UDデジタル教科書体」は学習指導要領に準拠し、書き方の方向や点・ハライの形状を保ちながらも太さの強弱を抑えたデザインの教科書体。ロービジョン(弱視)、ディスレクシア(読み書き障害)に配慮し、読みやすさについてのエビデンスも取得しています。
時代の変遷に適応し、進化し続ける
私達の会社は機械メーカーだった創業期から考えると、今の姿は到底想像もつかないものになっています。手動写植機の時代は世界40数カ国に機械を輸出していましたが、中国や韓国の技術が高まり安い電算写植機が登場したことなど様々な要因があり、一時的に海外マーケットから撤退しました。そこからフォントデザインの開発・販売・ライセンス事業へと舵を切り、現在では多言語での情報配信を実現するツールや“フォント”という領域に留まらない事業を展開しています。今後フォント開発はもちろん、一つのマーケットや産業に固執しすぎず、柔軟な姿勢で文字とその周辺のあらゆる場所に、活躍のフィールドを拡げていきたいと思います。在学生へのメッセージ
社会人になって自分の時間をつくることがものすごく難しいと感じています。勉強はもちろん、旅行や習い事など、自分が極めたいと思うことを学生のうちにしっかりやっておいた方がいいと思います。できればそれは将来のライフワークになるようなこと。私の場合はテニスやゴルフで今も人生の楽しみの一つになっています。社会人になると、仕事のストレスや悩みも出てくるかと思います。
そういった時に、仕事以外の楽しみや、仕事とは別の仲間がいることが、助けになることも多いと思います。
取材:吉原律子 動画:屋嘉比才輝(やかび さいき:国際関係法学科4年)
進化する時代に適応し、未来を拓く! 森澤彰彦さん Dokkyo Alumni NEWS Vol67
https://www.youtube.com/watch?v=SogF9zmcLXY&t=52s