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対面でのコミュニケーションを大切に相手の考えていることを手助けする

獨協人登場2023.10.27
対面でのコミュニケーションを大切に相手の考えていることを手助けする


 2022年11月、「秋の叙勲で1976年卒業の吉村学さんが旭日双光章を受賞された。」と北海道支部前田さんより連絡を受けました。6月に行政書士連合会の全国大会で上京との連絡をいただき、直接お会いしてお話をうかがうことができました。会議の間に時間を作っていただき、東京プリンスホテルのティーサロンへ。とても気さくにいろいろなお話をしていただきました。大学卒業後は、大手製薬会社へ就職、その後、家庭の事情で地元へ、親戚の鉄筋工事会社勤務を経て1984(昭和59)年に行政書士として仕事を始め、1992(平成4年)に社会保険労務士・行政書士吉村学事務所を開業し、現在も北海道十勝地方で活躍されています。

1973年 埼玉県音楽祭

(写真:1973年 埼玉県音楽祭)

大学時代は?

4年間、グリークラブ(男声合唱団)に所属していました。当時はドンコサック合唱団やデュークエイセス、ダークダックス、ボニージャックスが好きでしたから。練習はハードで毎日昼休みと放課後、そして春夏合宿とありました。定期演奏会のために徹夜で並び、東京文化会館を抽選で確保できたことも鮮明に覚えています。渉外マネージャーとキャプテンを任命され、部活動で得たものは多く、その後、営業職ではもちろんですが、いろいろな機会に活かされています。

ヴォイストレーニングと指揮でお世話になった武蔵野音楽大の先生はとても厳しい方でしたが、後に二期会の著名な声楽家になられて、1996年の幕別町百年記念ホールの杮落しでオペラ「カルメン」の公演をお願いし、大好評でした。
親から与えられた大学生活の最重要テーマは「全国に友達を作ること」のみでした。

新卒で製薬会社に就職

就職難でしたね、指定学校制をとる企業が多く、当時、獨協大学生には厳しく、就職浪人をする学生も少なくなかった時代でした。コネもありなんとか製薬会社に就職できました。
プロパー、現在はMRという営業として、青森で病院や医院を回りました。そこで営業の厳しさを経験し、また、「対面での交流の大切さ」を学びました。ICT化でリモートの時代ですが、これ以上に大切であると実感しています。
地元幕別町に戻られて
就職して5年目に父の病気をきっかけに、地元へ戻りました。親戚の鉄筋工事会社に入り、当初は職人たちをマイクロバスで送迎する仕事を手伝っていましたが、資格をとって鉄筋工として働くようになりました。それはとても重労働でしたし、当時は暴走族にいた人も多い業界で、彼らと一緒に汗を流したことも大きな経験で宝物となりました。職人たちの誇りを実感することも多くありました。
その後、行政書士事務所に入所し、1992年に社会保険労務士・行政書士として開業しました。仕事で心がけていることは?
対面でのコミュニケーションを大切にして、相手が考えていることにいち早く気づいて、手助けをする。
・どんな経験も大切にして、活かしていく。
 ・ピンチをチャンスに変える努力をする。
 ・楽しいと思えることに、たくさん挑戦する。
行政書士・特定社会保険労務士として、アンテナを張って情報を仕入れ、発信することがさらに重要になり、手続きのコンサルティングの役割も大きくなっていくでしょう。
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6月、既に猛暑の東京で、お話いただきました。会議参加の方へ十勝の手土産をたくさんお持ちになっていました、私たちにも…。短い時間でしたがお人柄を感じられるインタビューでした。ありがとうございました。
 9月には、まくべつ混声合唱団の定期演奏会もあり、お忙しく過ごしていらっしゃるとのことでした。