「災害を風化させずこれからに活かす」 やまびこの会事務局代表 シャーロック英子さん
獨協人登場2025.03.10

2014年9月27日、死者・行方不明者63名という戦後最悪の噴火災害が御嶽山で起こり、シャーロックさんの義弟も被害者に。同じ悲しみを持つ遺族が集まり、支え、励まし合う場を設けるため、また、二度とこの悲劇を繰り返さないための火山防災の提言並びに実現のため、被災者家族会「山びこの会」が2015年4月に発足した。
獨協大学卒業後、アメリカの大学で映像制作を学び帰国後はテレビの制作会社に就職。AD、リサーチャーを経て構成作家を長年務めた。
御嶽山噴火災害被災者家族の会_山びこの会 事務局代表 シャーロック(旧姓:小林)英子さん(1982年経済卒)
風化させないために
最初は遺族同士の語り合いや、自分の家族がどこでどのように亡くなったのかを知るため集めた膨大な数の写真から、息子を妻を夫を・・・探し出すことから始まりました。噴石による損傷死という亡くなり方は世界でも類を見ないことで、遺族の心に大きな傷を残すことになり、その回復の道は今も続いています。その後は、登山者への安全登山の啓発や行政に対して火山の観測や研究強化の要望を出すようになりました。安全登山の啓発活動として御嶽山をはじめ浅間山、焼岳、乗鞍岳の麓で、ヘルメットの着用、登山前の情報収集などをうたった手作りキーホルダーを登山者に配ってきました。これらの会の活動は「会報やまびこ」を通して全国の遺族に共有し、細いながらも糸で繋がってきた気がします。そんな会報も10年で40号を超えました。悲惨な災害を繰り返さないため、安全向上のため一歩一歩草の根活動を続けていきたいと思います。継続は力なりをモットーに。

学生時代
高校時代はインターハイや国体に出るほどバレーボールに打ち込みました。大学では自分の将来を考えながら並行して続けていきたいと思い、引き続きバレーボール部に入部しました。部の仲間に恵まれ、友人の輪が広がり交流できたことがよかったと思っています。獨協大学卒業後は自分のやりたいこと・アイデンティティをしっかりしなきゃと思い、アメリカの大学に進学しました。その頃は「もう映画じゃなくてテレビだな」と思いテレビの映像制作を学びました。
日本に帰国後は映像制作会社に就職し、番組づくりに携わりました。関口宏の「知ってるつもり?!」(日本テレビ系列局)、旅番組「そこが知りたい」(TBS系列)等々に関わりました。今振り返ると自分がやりたい好きな仕事ができた幸福な時代だったと思います。
そして、バレーボールにはチームメイトと共に苦しい練習を乗り越えて優勝する喜び、テレビ番組制作には様々な人々と関わって一つの物を作り出す喜びという共通項がありました。「山びこの会」でたくさんの方々と支えあいながら、安全登山実現を推進することで、不幸な縁の結びつきではありましたが、この一直線上には同じような喜びがあると信じています。
