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大震災と原発事故のこと(2)

前回の記事の続きです。

5月初めごろから、自主避難を考え始めました。福島県の健康リスク管理アドバイザーになった某大学教授は、福島県内では「笑っている人に放射能は来ない、クヨクヨしている人に放射能は来る」とうそぶいていましたが、彼の地元の新聞では「恐るべきことで、子供や妊婦を中心に避難させるべき」とインタビューに答えており、そのあまりの二枚舌ぶりに私は公的機関から発せられる情報すべてが信用できなくなっていました。5月下旬には自分で線量計を購入し、自宅周辺の測定を始めました。子供たちが一日の大半を過ごすリビングでは、毎時0.4マイクロシーベルト前後でした。放射線の専門家でさえ意見が真っ二つに分かれる中、この数字が何を意味するのかを私のような素人が判断することは、とても困難なことでした。

震災ホームステイというWebサイトがありました。今回の震災で住居を失った人たちに無償で家屋や部屋を貸してくれるという情報が集約されたWebサイトでした。福島市からの自主避難も対象になるとのことで、いろいろと検討して、埼玉県西部の寄居町にある物件に申し込みをしました。6月の初め、家族4人で下見に行きました。福島市から寄居町までは、高速道路を乗り継いで4時間半の距離です。これだけ離れれば、放射線の心配はないだろうと思っていました。しかし、寄居町役場に車をとめて、そこで線量を測ってみると、毎時0.2マイクロシーベルト前後もあるのです。今でこそ文部科学省の調査によって、かなりの広範囲に放射性物質が拡散したことがわかっていますが、当時そのような情報はなく、自分の線量計が壊れているのではと疑いつつも、予想外の測定値に動揺していました。

高速道路で4時間半の道のりを走っても安全地帯に行き着けないことに、心の底から失望しました。おそらく東日本には、もう安全と言える場所は残っていないのだろうと悟りました。しかし北海道や西日本にまで避難先を求めることには抵抗がありました。なぜなら私も妻も、両親が福島市にいますし、友達も福島に残る人が多く、ふるさとを捨てて他所に行くつもりはなかったからです。長女が小学校に入るまでの間、2年半ぐらいだけ、福島を離れてみようと思っていました。だから飛行機で行くような遠隔地は検討に入れませんでした。また、近場の避難先として山形県や新潟県が人気でしたが、いずれ冬になったときに豪雪に順応する自信がなく、選択肢から外しました。

いろいろと調べているうちに、宮城県南部でも大河原町や柴田町まで行けば、だいぶ線量が低くなることに気付きました。当時の測定値は毎時0.2マイクロシーベルト前後だったと思います。福島市から柴田町までは国道4号線で1時間半ほどです。高速道路で4時間半の寄居町とほとんど線量が変わらない場所が近くにありました。とはいっても宮城県自体が被災地であり、放射能から逃れるためとはいえ被災地に避難するということが許されるものなのか、だいぶ悩みました。宮城県による民間賃貸物件の借り上げ制度もありましたが、福島県からの自主避難者が対象となるかどうかは不明でした。しかし、もう選択肢が他に残っているわけでもなく、とりあえず家賃など避難にかかる費用は自腹になることを覚悟のうえで、柴田町に民間のアパートを見つけました。

今回もだいぶ長くなってしまいました。この記事を後編にするつもりでしたが、話が終わらないので、これを中編とし、次回を後編として最後まで書きたいと思います。

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